水になるブログ

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上海の友人

 上海に行きたいとずっと思っているのですが、行けません。上海では通算7年仕事をしたので、今でも会いたい友人は何人かいます。中には、友人と言うよりも、上海の会社で採用をした当時二十代だった彼らもいます。その後どうなっているでしょうか。

 私が2007年に上海にきて最初に採用した隼という男がいます。まだ立ち上げたばかりの事務所で人数も少なく、私のような日本人駐在員と日本語で会話ができる人材を対象にしていました。上海で日本語ができる人材を探すのはそれほど難しくないのですが、彼の場合は上海人ということもあって穏やかな性格と、日本語の使い方などを見ても細やかな神経を併せ持っているところに好感を持ちました。

 しかしまだ二十代の彼はダンスに夢中で、朝は眠たそうに、しばしば遅刻したりしながら出勤していました。そこで意図的に他の社員に人に重要と思われる仕事を振り分けるようにしていると、やがて彼は自分にも仕事をくださいと言い出し、徐々にまじめに仕事をするようになっていきました。

 今時の上海の男らしく、C調で、よく弱音を吐くのですが基本的にはまじめで、愛すべき人柄でした。彼と接する日本人もたいてい彼には好感を持っていました。やがて結婚式に呼ばれるようになるのですが、数年経った後、離婚したという話を聞きました。その頃には同じ会社で仕事をしていたものの、私が別の事業に関わるようになっていたため、普段話をすることもなくなっていました。その後、彼は他の日系企業に会社を変えて連絡をすることもなくなってしまいました。

 今週、たまたま、これも一緒に仕事をした上海人で、営業部長をかれこれ7年くらい務めている珠という彼から連絡がありました。「上海に行きたいね、上海で一緒に酒を飲みに行きたいね」「いいKTVがありますよ、一緒に行きましょう」などとやりとりをしていたのですが、ふと隼のことを思い出して、奴は元気かと尋ねました。彼は隼が会社を辞めるまで数年、上司として隼と仕事をしていました。「相変わらず仕事しないですよ。昨日もお客さんの接待がありましたが、奴は全然酒を飲まないで、私が飲む役です」と。

 え???一緒に仕事しているの?「そうです。またうちの会社に戻りました。」そうなのか…。なんだかわからないけど嬉しくなってしまいました。もうかれこれ四十がらみだなあ…すっかり容姿が変わったりしているかなあ…などと思いを巡らせましたが、ともかく珠に「よろしく伝えてください」と言い残しました。

 また上海に行ける日が来るとよいのですが、いつ封鎖や行動制限が始まるかわからない状態では行くことはできませんし、台湾情勢という不安要因もあります。もう二度と足を踏み入れることができないということもあるかもしれませんね。


Be water, my friend.